平成13年2月第3作「文箱」刊行

2015.03.20
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fubako_s1収録作品

蓬餅 / 蛍を見る / 陳旧性心筋梗塞 / 言葉 / 五行川星霜 / 塾 / 親孝行 / 長引いた孫の皮膚病 / お正月 / 五行川べりの賑わい / 『盲導犬と共に』の講演を聴く / 蕗の薹を飾る / 書けなくて / 黒のスカート / 椋鳥 / 月下美人 / 私の秘境 / 立ち直れなくて / さつま芋の蔓 / 蝙蝠 / 十三夜 / 登校班と隣の友君 / 音楽集会にに出席して / 正月雑感 / 初雪 / 最高の勲章 / この花の名は…… / 山の藤 / 歌あれこれ / 接触事故 / 「歩ける」ということ(一) / 「歩ける」ということ(二) / 北向きの自転車 / 茄子の花 / このままでいたい…… / 昔とった杵柄 / 社会の計は家庭にあり / みかんの房 / カシミアのマフラー / つれづれに / 堰の音 / 自然のままに / 時 / 山の見える教室 / 堰--お盆に近いころ / 幸せなと刻--風鈴の音が聞こえて / 蛙 / キノコ / そして……蛙 / 心を片づける / 掛ける二 / 裾の辺り / 淑坊--わたし、今も幸せ / 事務を執りながら / 文箱 / 鎮魂 / 眼球破裂 / 牧野先生

 

 

魂を描く

我が母であり、渡辺私塾の事務長である渡辺通枝が、「心のページ」「ぐるっと回って」に続く3刊目の随筆集「文箱」を上梓しました。すでに「月刊ずいひつ」や下野新聞紙上において紹介されているのですが、当ホームページ上でも若干の解説を交えてご案内したいと思います。
 解説と言っても、息子が母の著書を評するのは不自然ですし、また、解説の中で少しでも作品を礼賛する姿勢が見られれば、それは大方の日本人の美意識にそぐわないものになるでしょう。小・中学生も国語の授業で習う通り、敬語の使い方の決まりには、「身内の行為を述べる際は謙譲語を用いる」というものがあります。つまり、心の中で敬意を抱いているのは当然としても、父や母を人前でむやみに褒めてはいけないわけです。親が自分の子の自慢をするのが、おおよそ滑稽であるのと同様です。その上私は根本から日本人であり、謙遜こそ最大の美徳であると信じて疑いません。したがって、母の作品を称えることには、やはり抵抗を感じてしまいます。
 しかしながら、「文箱」の刊頭では日本随筆家協会の神尾久義先生から過分なお言葉を頂戴しておりますし、また「月刊ずいひつ」3月号中でも大津七郎氏が詳細かつ流麗なる論評を加えて下さいましたので、もはやそれ以上の一般的な評論は無用であると思われます。いや、私ごときの筆力で論説をほどこしては、両氏から賜った秀評が作り上げる「文箱」のイメージを曇らせる結果にもなりかねません。
 そのような理由により、私はあくまでも息子でしか捕らえられない視点から母の作品を見、そして感じるところを述べたいと思います。「詰まるところ非日本人的行為ではないか」という誹りを受けるかもしれませんが、それは甘んじて受け入れるつもりです。

 「文箱」の中の「眼球破裂」に細かく記されている通り、昨年の夏、母は自宅廊下での事故により左目を失いました。お見舞いにお出での方々にははっきりと申し上げませんでしたが、視力回復の見込みはありません。左目は完全に失明状態です。その上、注意して見なければ分からない程度ではあるものの、瞼の開き具合が左眼の方が狭いので、女性である母はそれを気にして色つきのメガネを普段からかけています。
 しかし、左目を失ってもなお、25年ほど前まで生業(なりわい)としていた縫い物はやめませんし、もちろん執筆活動もやめません。特に片目で懸命に縫い物をする姿は、息子である私の胸を突きます。昔取った杵柄よろしく、常人には難しい針の穴通しも右目のみでやってのけるのですが、その姿勢が熱心であればあるほど、完成を報告するときの言葉がうれしげであればあるほど、それらは私の心に痛く染み入ります。それどころか、全く情けないことに、メガネをかけていない母と面と向かって話すことが辛くてたまりません。
 親に対する慈愛が薄く、以前は対立ばかりして母の心をえぐっていた愚かな息子が、重い傷を目の当たりにして初めて親離れができたようです。まさしく羞恥の極みというところですが、同時にようやく大人になれたような気も僅かながらしています。

 随筆家協会賞を頂いた第1刊の表題作「心のページ」は、孫の行動をモチーフにし、夫の晩年から死の前後を寸描した作品でした。私は、今なおその作品を涙無くして読むことができません。脳梗塞で倒れた後、言語能力と左半身の不具を抱えたまま18年生きた父が癌に侵されていることを知ったとき、「結局何もしてやれなかった」という悔恨の情に激しくさいなまれた自分は、未だに特殊な意味でのファーザー・コンプレックスを持っているのでしょう。
 しかし、その作品によって仮にも協会賞を授かったという事実は、母の文章が家族以外の人々の目に触れた際にも、何らかの輝きを放つということの証であると思います。この辺りから肉親を賛美する表現が色濃くなってまいりますが、あえて記してしまいますと、彼女は筆を執り始めた時点から常に「魂を描く」ことに心を砕いてきたように思われます。もちろんここで言う「魂」とは、人を人たらしめる心であり、信実であり、命のことです。人間の真髄と呼ぶべきものかもしれませんし、生の根源と言えるものかもしれません。
 渡辺私塾荒町教室において初めて塾生が非業の死を遂げたとき、「鎮魂」がしたためられました。これもやはり、心穏やかなるまま読める作品ではありません。すでに題名において「魂」が登場しますが、、中学2年という若さで昇天した小川貴弘君の御霊の安らかなる眠りを乞う文章でした。さすがに母も手を震わせながら書いたようです。自分の孫を失うような痛みを感じていたのかもしれません。けれども、常に「命」を追究する彼女だからこそ、憐憫の情に打ちひしがれながらも筆を執らずにはいられなかったのでしょう。

 150を超える作品に宿るすべての「魂」を通じて、私の場合「家族愛」を最も強く感じるのは当然のことですが、五行川など自然を題材にした文章にも、やはり命の賛歌があるように思われます。換言すれば、豊穣なる生を謳っているということになりましょうか。花の色、木の葉の舞い、川面の凪・・・それらすべてに母は生を感じているようです。僅かとはいえ、全国に渡辺通枝の文章を慕って下さる方々がいらっしゃるのは、普段なら見過ごしそうな、そんな小さな「魂」の響きを共感していただけたからではないかと愚考する次第です。

 世の中には、文筆家でなくとも彼女を上回る筆勢で書ける方は数多くいらっしゃるでしょう。私は必然的に全作品に目を通すことになりましたが、特に初期の作品には、やや粘性が強すぎるものもあったように思います。作を重ねるに連れ少しずつ洗練されていくのは、文章に限らず、あらゆる芸のならいというものでしょう。ただ私は、自身の筆致に不安を感じながらも随筆を書き始め、齢78を数えた今もなお書き続けている母に、正直畏敬の念を感じずにはいられません。
 どのような形で自分の一生に意味を与えるかは全くもって人それぞれですが、彼女は「文を記す」という手段を選びました。そしてそれも、創作より遥かに自分史に近いと言っていい「随筆」をしたためるという方法でした。本人が意識しているかどうかは定かではありませんが、これはある程度自分の歩んできた人生に自信がなければできないことだと思います。少なからず勇敢な行為であると言えます。仮に私が充分な筆力を持っていたとしても、恐らく自叙伝の類は書けないでしょう。70を過ぎ、数多くの艱難辛苦を乗り越えてからならと考えても、今度は健全なる頭脳を維持できるかどうかという別の懸念が出てきますから、やはり否定的にならざるを得ません。したがって、今書き続けているというだけで、我が母は偉大であると言ってもいいのではないでしょうか。
 その上、当たり前のことですが、書物は後世に残ります。意図的に処分しない限り、何十年でも本はそこにあり続けます。20年後あるいは30年後、今はまだこの世に存在しない彼女の曾孫たちが、「心のページ」を、「ぐるっと回って」を、「文箱」を読むことでしょう。さらにはその次代の子供達もそれらを読んで、曾々祖母がいかに物を見、いかに感じ、いかに生きたかを学んでくれるかもしれません。そして、自分達が彼女の末裔であることを誇りに思ってくれるかもしれません。つまり、「隻眼の随筆家」渡辺通枝の存在は、子孫らの手によって百年、二百年と語り継がれる可能性があるのです。

 私は今、自分の歴史を記すという母の偉業を改めて畏怖すると同時に、彼女に心から拍手を送りたいと思います。そして、末永く健筆を振るってくれることを祈念します。

 

平成13年3月
三男  渡辺 佳寛