なぜ人を殺してはいけないのか

 さて、「今生きている人の数だけ世界は存在する」という命題の背景を、なんとか哲学的に説明することができました。「まあ、そういう考え方もあるだろう」と感じていただけた方は何人いらっしゃるでしょうか。私自身は、こうやって偉そうに書くほどすごい考えだとは当然ながら思っていません。むしろ、同じように考えたことがある人は星の数ほどいるだろうと思っています。

 ただ、「全く別の世界」という言葉では、泡状宇宙理論のように60億の世界が1つ1つくっついている状態をイメージされてしまうかもしれませんので、図を交えてさらに分かりやすく説明してみたいと思います。

 私の頭の中にあるイメージは次のようなものです。こうして図にしてみると、やはり極めて単純な考え方であることが分かります。
 
 
 上の図で、AさんとB君は幼なじみの仲良しだとしましょう。いつでも一緒に行動する、とっても仲の良い二人でです。ところが、Aさんは自分の住んでいる世界を「赤い」と思っています。お父さんやお母さん、ペットの犬、友だち、通っている学校、それらすべてのイメージがAさんにとっては「赤い」のです。そして、全く同様に、B君は自分の住んでいる世界を「青い」と思っています。朝ご飯、今熱中しているPS2のゲーム、面倒くさい算数の宿題、大嫌いな塾の先生、それらすべてが彼にとっては「青く」感じられます。

 しかしながら、それでも普段は、二人とも「半径6400kmの、海と陸の面積比が約7:3である太陽系第3惑星の、ユーラシア大陸の東にある日本の、ある県のある町」で生活していると思っていますから、二人は「同じ世界に住んでいる」と考えています。つまり、日常の中で感じているAさんとB君の関係は矢印の下のようなものになります。要するに、二人を取り巻いているのは実証主義的・唯物論的に言えば「全く同じ世界」でありながら、その世界はAさんにとっては赤く、B君にとっては青いのです。

 私が最も力を入れて言いたかったところはこの点です。昔から「十人十色」と言いますが、この慣用句の本質は、「十人いれば人がらも十通りある」ではなく、「十人いれば十通りの世界がある」なのだと考えてもいいのではないでしょうか。人がらとはつまり性格のことであり、性格とはすなわち意識・精神につながるものなのですから。

 ただ、「もしかするとAさんと同じように『世界は赤い』と感じている人間もほかにいるのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、地球人が60億人もいれば、その中には世界を似たような色で見る人がいてもいいような気がします。しかしながら、周りを取り囲むすべての物や人を自分と全く同じように見、とらえる人が他に存在するとは非常に考えにくいです。

 AさんとB君がいつも一緒に遊んでいるCさんがいたとします。今、AさんとB君はCさんに対して普段は同じような印象を持っているとしましょう。でも、Cさんの外見や内面すべてに関して二人が全く同じように評価するとは思えません。たった一人の他者に対してであっても、二人の人間がその他者を全く同じ色で見るということはありえないと言っていいのではないでしょうか。

 今この文を書いている私が見る世界は、他のだれかには決して見ることのできない「わたし色」の世界です。そして、これを読んでいるあなたが見る世界は、地球上のだれにも見ることのできない「あなた色」の世界です。唯物論によって簡単に定義されてしまう空や山や木々も、本当はすべて「あなた色の空」「あなた色の山」「あなた色の木々」なのであり、決して「わたし色」の空や山や木々ではないのです。

 たとえ60億人が存在していようとも、「あなた色の世界」を見られるのはあなた一人だけしかいません。そして、「わたし色の世界」を見られるのは私一人しかいません。言い換えれば、私がいなくなったら「わたし色の世界」が消えることになります。失礼ながら、あなたがいなくなったら「あなた色の世界」が消えることになります。つまり、人が一人死ぬということは、「世界が一つ無くなる」ということなのです。

 世界を作り出す、こんなに特別な「意識」なのに、人間の「生」がなければ存在できません。こんなにユニークな「精神」なのに、「命」が消えるとともに簡単に失われてしまいます。そして、新たに何人の人間が生まれてこようと、死んだ人間が作っていた「ただ一つの世界」は絶対に戻ってきません。

 命はかけがえのないもの――とても月並みな言葉ですが、意識の母体としての命を考えるとき、その意味を痛切に感じます。

 我々は何年か経てば必ず死にます。国語の教科書に掲載されている五木寛之氏の文章にもあった通り、我々は死へ向かって進んでいく旅をしています。そして、その旅が終わった瞬間、「そのひと色」の世界が一つ消えます。でも、こんなに刹那的な人生であり、こんなにはかない意識だからこそ、我々は、自分色の世界を大切にし、日々新たな感動とともに自分色の世界を広げ、懸命に自身の意識を磨いて自分色の世界をより美しいものにしていかなければならないのではないでしょうか。

 もはや、「だから人を殺してはいけないのだ」という言葉は必要ないと思います。
 「一つの命」とは、「一つの世界」なのです。




<<<付記>>>
「なぜ学校ではその答えを教えないのか」
「世界に一つだけの花」





本当にごちそうさま