|
イラク日本人人質事件に思う |
|
| 2004年4月8日、邦人3人がイラクで拉致される事件がありました。皆さんご存じの、サラヤ・ムジャヒディンと名乗る武装グループが犯行声明を出し、自衛隊の撤退を要求した事件です。しかし、間もなく「解放声明」が出て、日本じゅうが注目する中、事件発生から1週間後の15日に3人は無事解放されました。「イラク・イスラム聖職者協会」という集団が活躍したらしいですが、この文章を書いている段階(16日)では詳しいことはわかっていません。 もちろん、解放は実に喜ばしいことです。人質となっていた3人のご家族の方々も、さぞかし安心なさったことでしょう。3つの命が守られたということは、非常に大きな意義のあることです。 しかしながら、私は彼ら3人に対して同情することはできません。さらに、人質となっている最中のご家族の態度にも疑問に思う点がありますし、解放された後のご家族の反応にも納得できない点があります。それは、家族の方々が、人質にとられたことをあまりにも不運な、不幸なできごとだととらえすぎているように思えたからです。 小泉総理もテレビのインタビューで言ってましたが、政府は、この事件が起こるまでに13回に渡ってイラクへ入国しないよう勧告(当然退避勧告も)をしてきたそうです。それほど現在のイラクは危険な状態にあるということです。にもかかわらず、3人は勧告を無視してイラクに入りました。ジャーナリストとしてすでに生計を立てている郡山総一郎さんは「仕事のため」という理由もありますから仕方がないとしても、今井紀明君はまだ高校を出たばかりの18歳であり、高遠菜穂子さんはいわゆるボランティアです。今井君は高校卒業後、郡山さん同様フリーライターとしての人生をスタートしたようですが、当然ながら、まだまだ一人前のジャーナリストであるとは言えません。最初の仕事として今世界じゅうで最も危険かもしれないイラクを選ぶ必要があったのか、私は非常に疑問に感じるところです。つまり、2人とも立場的には「行かなければならない人」ではなかったと私は思うのです。 今井君は「NO!DU(小型核兵器)サッポロプロジェクト」という会の代表を務めています。高遠さんはすでにイラクで活動してきたボランティアです。ですから、もちろん心情的には「行かなければ(いなければ)ならない」と感じていたのでしょうが、それはあくまでも2人の<主義>の問題です。彼らの主義を社会全般に通用する<正義>として認めるわけにはいきません。彼らの行動が日本国民にとってぜひとも必要なものであるとは言えないわけです。少なくとも今井君と高遠さんの2人は、「冒さなくてもいい危険を冒した」のだと私は思っています。2人には申し訳ないですが、はっきり言ってしまうと、今回は「自分のわがままを押し通して危険な目にあった」ということになるでしょう。 また、郡山さんの場合も、「行くのは仕方ない」とは言えるものの、逆に言えば「仕事上こういう危険があるのも仕方ない」ということになります。ですから、この職業を選んだ以上、身の危険は常に覚悟の上でなければならないわけです。 こう筋道を立てて考えてみますと、前述の通り、特に拘束中の家族の様子には全く納得できない点がありました。何よりまず、彼らは「助けて下さい」と言い過ぎました。決して不運な、不幸なできごとではなく、今イラクに行けば(あるいは居れば)充分予測することができる事件であるにもかかわらず、あまりにも家族が嘆き悲しみ過ぎました。そのため、解放されるまでの1週間、3人が悲劇のヒーロー・薄幸のヒロインになってしまったのです。 もちろん、彼らが川で溺れている子供を助けようとして、いっしょに溺れてしまった人たちだというのなら話は別です。溺れている子を助けることは全人類に共通する正義の行動であり、たとえ自分が泳げなくても、他の何らかの方法で子供を助けようとするのは人間の義務と言えるからです。しかしながら、くどいですが彼らの今回の行動は、厳しく言えば「自分の主義に基づいて<勝手に>とった行動」です。私はそういう彼らに同情することはできませんし、同情する必要もないと思います。 このような書き方としていると、「そんなことを言うのは、お前が自衛隊派遣賛成派であり、そもそもアメリカのイラク侵略に対しても賛成派だからだ。イラク国民をかわいそうだと思っていないからだ」などと言われそうですね。でも、それは全くの見当違いです。私はブッシュ氏は史上最悪の大統領だと思っています。小泉総理も、漫画家の小林よしのりさんが言う通り、「親米ポチ公」だと思っています。イラク戦争は極悪侵略戦争であり、自衛隊のイラク派遣は自衛隊の存在原理そのものを見失ったデタラメな決定だと考えています。 元来、ブッシュ氏が大統領就任以前に石油会社の社長だったというのは有名な話です。また、ネオ・コンサーバティヴ(新保守主義)と呼ばれる、「強いアメリカ」を求め、全世界をアメリカ的な民主主義の国に作り替えるために軍事力を行使しようという主張がアメリカに存在するのも有名な話です。略称「ネオコン」の中心人物は、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官などです。もちろんブッシュ大統領も「そちら側の」人間です。そして、イラク国民がその悪しきネオコンの犠牲者であり、ブッシュの狙いはイラクの石油の利権で、大量破壊兵器発見などは二の次の目的であった、というのがイラク戦争反対派の共通認識だと私は思っています。 また、日本政府にとって、イラク戦争支持も自衛隊派遣も、とにかく「日本の国益のために」というのが根本的な理由となっていました。特にイラク戦争開始の際は、アメリカの行動をいかに正当化するかで、小泉総理自身かなり苦しんでいる様子がテレビ画面からも伺えました。そして結局、賛成する理由は「国益にかなうから」というものでした。悲しいかな、いつになっても日本は「アメリカの奴隷」的な立場から抜け出すことができません。 国益から離れ、自衛隊の存在意義に立ち返って考えれば、小学生でも派遣の間違いに気づくはずです。自衛隊は、他国の軍隊が攻めてこんできた際、ときには命を投げ出して民間人を救うために存在しています。どう考えても、彼らの仕事は日本人を守ることです。日本国民を守るためなら、おそらく彼らは命を惜しまないでしょう。しかしながら、復興支援の名目で危険なイラクへ送り出され、テロの凶弾に倒れた場合、それは「殉職」になるのでしょうか。彼らは一体誰を守って死んだことになるのでしょうか。単に、他国の戦争に参加した結果の「戦死」と同じことになってしまうのではないでしょうか。このように考えていくと、自衛隊の海外派遣は明らかに憲法違反だと思えてきます。 話はそれますが、国益国益と騒がず、私はむしろ一度アメリカに思い切り逆らってみた方がいいと思います。そして、アメリカを敵に回したとき実際にどれくらい世界の中で孤立し、国益が損なわれるのかを試した方がいいと思っています。さほどの損害が無いのならばこれからも強い態度がとれますし、逆に、現実的に大きなダメージを受けたなら、今後アメリカに隷属するような政策をとり続けて野党や国民から批判されても、「もう、ああいう目にはあいたくないでしょ?」と政府は堂々と言えるはずです。確かに景気が上向きかけている今、経済的な混乱を招きたくはなかったでしょうが、それでもイラク戦争と自衛隊派遣は、短期間に二度巡って来た大きな決断のチャンスでした。にもかかわらず政府は、いつも通り、まるで決まりきった公式でも存在するかのように「隷属」という態度をとったわけです。 いずれにせよ、私はイラク戦争は歴史的な犯罪だと思っていますし、自衛隊派遣にも反対でした。ですから、イラク人をかわいそうに思い、彼らのために何かしてやりたいとイラクへ渡ろうとする人たちの気持ちは良くわかりますし、そういった考えを持つこと自体立派だと思います。 が、しかし、イラク入国をいざ実行する段になったときは、それ相応の覚悟をしなければなりません。まずは、今イラクに行ったら死ぬ可能性があるということを理解すること。そして、今回のように誘拐・拉致された場合は、自分の意思で来た危険な国で、自分の意思で陥った危険なのだから、決して動揺せず<自分の力で>脱出するくらいの覚悟をすることです。誰かが助けに来てくれるだろうなどと期待してはいけません。それは単なる幼稚な甘えです。自分の甘さの尻ぬぐいを他人に任せるなどというのは社会的無責任の最たるものであり、自分が子供であることを証明しているようなものです。 ところが実際の彼らはどうでしょう。女性の高遠さんは解放されたことがわかったとき、なんと涙を流していました。監禁から解かれた安堵によってうれし涙を流したのです。私は正直、「なんだ?こいつは」と思ってしまいました。「そんないい加減な覚悟でイラクに居たのか?」と腹立たしくさえなりました。さらなることに、「ひどいことはされたけどイラク人を嫌いになれないから、まだイラクに居たい」などという言葉を吐いているのです。これはもう、「暴力は振るうけど、どうしても好きだからこの人と別れたくない」と言いながら、乱暴な夫と生活を続ける妻と同レベルの感情ですね。夫に殴られて重傷を負うことになったとしても、だれも同情などしてくれないでしょう。 でも、おかしなのは本人たちばかりではありません。初めにも書いたように、家族の態度も間違っていました。解放された後でこそ「ご迷惑をおかけして…」という言葉が何人かから聞かれましたが、それまではさんざん「助けて下さい」をくり返すばかりでした。いや、中には政府の対応の悪さに食ってかかる若い家族もいました。しつこく繰り返しますが、元を正せば自分たちの家族が、自由意思で、さらに言えば<勝手に>危険な状態に陥ったのです。それなのに、家族を思う気持ちは山よりも大きく海よりも深いのだから、何を言ってもいいと思っていたのでしょうか。家族愛のドラマの中では、彼らの筋違いな言動も許されると思っていたのでしょうか。もしもそうだとしたら、それはとんでもなく恥ずかしいことです。本来ならばテレビになど出ず、「生きて帰ってきてくれればうれしいが、勝手に行ったんだからとても助けてくれとは言えない」と、コメントだけ発表するのが常識ではないかと私は思います。 こんな事を書くと、「自分の子供だったとしても本当にそう言えるか?」などと突っ込まれそうですね。でも、答えは当然ながら「もちろん言えます」です。いや、私が親だったらまず、力ずくでも行かせません。それでも、どうしても飛び出してしまったのなら、出て行った時点で「子供を一人失った」とあきらめます。もしかするとそのとき、太平洋戦争末期の特攻隊に子供を送り出す親の気持ちを味わうのかもしれませんが、いずれにせよ、私は人様に迷惑をかけるのが何よりも嫌いですから、拉致されたときにテレビに出て「助けてくれ」などと言うつもりは毛頭ありません。 「じゃあ、政府の態度はどうなんだ?」と聞かれると……政府にも悪い点が無かったわけではないと答えるでしょう。表面を取りつくろう姿勢は、いつになっても変わりませんから。事件発覚直後、総理がインタビューに答えて「自衛隊は撤退させない」と言いました。それに対し、インタビューアーはすかさず「3日後に人質が救出されていなくても、それは変わらないのか?」と尋ねました。すると総理は、「全力で救出するのだ」と答えました。相変わらずの悲しい詭弁です。全く答えになっていません。テロには決して屈しないという態度を崩さないのなら、ずばり「残念ながら変わらない」と答えるべきでした。そういう言葉こそが人質の価値を低め、今後の誘拐・拉致事件を少なくするのです。「救出」を叫びすぎると、逆に人質の価値は高まってしまうはずです。結局小泉総理も、事の本質を考えず、人気取りのために逃げをうつ卑怯な政治家の一人に過ぎないのでした。 当然の事ながら、今後同様の事件が起きて(すでに2人が拉致されている可能性がありますが)、人質が殺されたとしても、政府は自衛隊を撤退させないでしょうし、私も撤退させるべきではないと思います。何度も言うように、このような事件は容易に推測できることなのですから、あくまでもそれらを想定した上での自衛隊派遣であったはずです。スペイン同様、日本国内で大規模テロが起こったり、イラクでも日本人だけが集中的に狙われるようになったりすると話が変わってくるでしょうが、自由意思で入国した人間の拉致殺害事件程度で撤退させたら、それこそ日本は国際的な信用を失ってしまいます。この程度の犠牲が出る可能性も考えずに自衛隊派遣に賛成した日本国民がいるとすれば、その人たちは全く考えが足りなかったと言わざるを得ません。 最後になりましたが、今回の事件に関しては、マスコミの報道姿勢に対しても大いに不満が募りました。報道の在り方が基本的に間違っているのです。マスコミというものはいつになっても全く成長しないものなのだという感じがしました。こういう特殊な状況下では、人道主義的な報道に終始していてはいけないはずです。解放される前から、「勧告を無視してイラクへ行く人間が悪い」としっかりと叫ばなければならなかったのです。ところが、解放されるまでは「人命救助最優先。自衛隊撤退も考えるべきではないのか?」などという反政府的な意見の比重を大きくし、解放された途端、「自己責任で行くべし。勧告を無視する者には厳しく対処すべし」などという声のボリュームを急に大きくしてきました。全く一貫性のない、行き当たりばったりで視聴率優先の、極めていい加減な報道だったと私は思います。マスメディアとしての自覚もプライドも全く感じられませんでした。 結果として私も人質の解放後にこの文章をUPすることになりましたが、仮に解放されていなくても、あるいは殺されてしまっていたとしても、同内容のコメントを載せるつもりでした。人質が死んでいた場合は明らかに死者をむち打つことになりますが、それほど今回の3人とその家族には「社会的無責任」を感じ、またマスコミにも、報道の無責任さを感じていたということです。 ずいぶん長くなってしまいました。とりあえず、ネット上をにぎわせた「自作自演の狂言」ではなかったようですね。その点がわかっただけでもちょっと安心しています。今後このような無責任なボランティア活動家が出てこないこと、彼らが、イラクへ行くよりも日本国中を回って、政治を変えるための政権交代を目指す運動をするのが本筋であると気づいてくれることを祈りつつ、筆を置くことにしましょう。 |
|
| 目次のページへ | トップへ |